皆様お気づきだと思いますが、わたくし自閉症スペクトラムと診断されており、精神障がい者手帳3級を持っております。
もういい歳、ミドルエイジになりますが、社会に出てから人間関係につまずくことが多く、仕事がなかなか安定せずに苦労した人生を歩んでまいりました。
このブログタイトルはそういう意味を込めてつけました。
私自身は気が小さいくせにとてもプライドが高いようで、ブログでもキラキラしたことを普通の人のようにふるまって書いてまいりました。
今年の4月に転職に成功してアルバイトしているのですが、また人間関係につまずいています。
(一人暮らしをしているのですが、意外とアルバイトでもなんとか生活できています。
過去の私のように今実家を出れずに苦しんでいる人がいらっしゃったら応援したいです。)
そこで、このブログの場で自分の人生と、なぜ人間関係がうまくいかないのか考えてみようと思います。
幼少期

社会人
大学卒業後、医療事務に正社員で就職しました。
今思えば、自分のコミュニケーション能力も全然ダメだったうえに、たぶんブラック企業(経営者が亡くなって、その妻とそのおつきの2人のお年寄りのワンマン経営の病院でした。)の大量採用にひっかかって働いておりました。
ブラックだと思った理由は、大卒は1年目は高い月給なのですが、2年目からは総合職(ほとんなれない)にならない限り、給料が急激に下がる、というシステムの会社でした。
そのシステムについて就職前に調べが足りずに、入社してから気づいたのでした。
結局、人間関係がうまくこなせずに半年で退職したので良かったといえばよかったといえます。(いえるのか???)
病院受診の歴史
他のメンタル関係の講座に通った歴史
日常生活で困っていること

聴覚過敏かミソフォニアなのかも
奈良県から大阪市に引っ越して、一番つらいのが都会は音があふれていることです。
奈良県の実家は住宅地にあったので、それこそ夜は耳がつーんとするくらい「しーーーーん。」としていました。
(ただし秋などは虫の鳴き声がすごい。)
そのため窓を開けている時はくしゃみをしただけで近所に響き渡るかも…、と気を使っていました。
現在は大阪市の中でも繁華街に住んでいるわけではないのですが、やはり窓を開けると、電車の音、人の話し声、車・バスの走る音、隣の戸建て住宅からの謎の電子音(?)などが聞こえてくるので窓を開けることはできません。
(メンタルの調子が良い時は開けることもあります。)
他にも駅で階段を上るときにやたら足音を「ばんばん!」させて登る人が苦手なのでつらいです。
オフィスでもやたら生活音(書類ばさばさ、ひきだしバンバン)やキーボード音が大きい人がいるので疲れてしまいます。
オフィスではノイズキャンセリングイヤホンを使用することもあるのですが、来客に応対しなければいけないのでずっと使用し続けるのは難しいです。
仕事面でも生活面でも改善しなければ…、と考えている今日この頃です。
【対策】
オフィスでは、一番メンタルが落ちているときはアンカー社のノイズキャンセリングイヤホンを使用しています。
8,000弱で購入しました。
ただ完全シャットアウトにはならないので、本当につらい時はそれに加えてyoutubeで「周りの音をかき消す音楽」というの大音量で流しています。
(耳が悪くならないか心配…。)
移動中もできればノイズキャンセリングイヤホンを付けたいですが、危なくないのでしょうか…。
イヤホンを着けながら歩くことが苦手なんです…。
読み漁った本たち
本当に助けになっていますyoutube番組
『精神科医がこころの病気を解説するCh』
早稲田メンタルクリニック院長の精神科医益田裕介先生による精神科の解説の番組です。
人生全体を通してや哲学的、宗教的お話を聞けてとてもためになります。
(ただ本当に心病んでいるときは頭が難しい話が理解できずに、「もっとすぐに出来るテクニックを!」とか思ってしまうこともあります。すいません…。)
平行して資格の勉強もできたらと考えています
国家資格のハードルが高すぎます…。
また大学に通いなおさねばいけないです…。
環境を変えることについて

一人暮らしの生活費
メンタルの浮き沈みが激しいことと、人付き合いを断れないことが重なり、月額はすごく変動します。
万能感を感じているときはすごくお金使いが荒くなります。
メンタルが落ち着いているときはほとんどお金を使いません。
最近はおそらく「中年クライシス」に陥っていたらしく、やっていないことをたくさん残して死にたくない!
からの
「いや、そもそも日常生活でいっぱいいっぱいの人間がそんな高みを目指さなくても、心穏やかに過ごせばそれが幸せじゃない?」
とようやく落ち着いてきました。(半年くらいかかりました…。)
今日図書館で借りてきた『しあわせは食べて寝て待て』を読んでつくづくそう感じました。
こちらの漫画、タッチもかわいいですし、すごくほっこりしておすすめです。
親との関係と人間関係の考察(過去の記憶の再構築)
過去の記憶に向き合うのが嫌すぎて中年まで避けてきました…。
嫉妬がすごい
今の職場に一緒に入った同期がちょくちょくちょく休憩で消えるのにイライラします。
(1時間に1回、10分位いなくなる。)
私は電話を取ったり、来客対応したり(私の方が動きが早いので結局全部私がする流れになっています。)していますが、同じ仕事をしていて二人で注意されるときは、何故か私に向かって言われます。
その同期は今まで事務仕事をしたことがないようで、仕事がすごく雑です。
その割にはやたら負けず嫌いで競ってくるので疲れます。
まあ、仕事が雑なのは、私に迷惑がかからない限りよいのですが、この「二人に注意する段階で私にだけ言う(私が間違えてなくて、同期だけ間違えている事項でも。)」
43歳の誕生日を来月に控えて初めて堂々と母親に漫画が好きなことを宣言できました!

子どものころに、漫画を買ってきて読んでいたら、母親にさげすんだ目で見られたのがトラウマになっていました。
その後も、何かあるごとに「漫画か。(溜息)」と馬鹿にされていたので、母親の前では漫画の話はしないようになりました。
実家を出て独り暮らしを始めたことで親に気を遣わずに自分が本当に好きなことに向き合えるようになったこと、再度絵に向き合っている今感じるのは、やはり漫画が私の人生に与えてくれた影響はとても大きいということです。
ただトラウマはとても大きくて、中年になっても漫画を読んでいることを心のどこかで恥ずかしいと思っていたふしもあります。
最近実家のワンコが弱っているので週一で実家に帰っており(できるだけ母親のいない時を狙っています)、その折に『ミステリと言う勿れ』のドラマの話になり、原作を途中まで読んでいること、すごくよくできた物語で面白く読めていることを堂々と伝えることが出来ました。
…
…
母親の反応はといいますと、
一瞬「あぁ。」と眉間にしわを寄せて嫌な顔をしていました。
この表情が、俳優の菅田将暉さんが好きではないからなのか、漫画を私が読んでいることに対してなのかは分かりません。
ただ一つ言えるのは、もし実家にいてこの会話の流れで、母親のあの表情と反応、声音を聞いたら確実に後者として捉えていただろうということです。
(そして「選択を間違えた…。」と罪悪感を持つ…。)
今も母親に認めて欲しかった気持ちは消えませんが、そういう母親ではなかった(母親も完璧な人間ではなかった)ということを受け入れて、ありもしない幻想をいつまでも求めずに、ただし自分の好きなことを気を使って言わないようにするのはそれとは別の話として、少しずつですが分けて考えられるようになってきています。
このように考えを変えれるようになったのは、物理的に距離ができたのが一番大きいと思います。
本やyoutubeで散々「物理的距離を取るように」と知識としてはあったのですが、勇気がなく実行できずにいました。
遅くなりましたが、やっと自分の人生だけに向き合えるようになりました。
勇気を出して家を出た2年前の自分をほめてあげたいです。
(勢いで家を出たので、何もないマンションのフローリングで着の身着のまま床で寝たのは懐かしい思い出です。(床で寝てたのと、環境が変わったストレスでひどい風邪をひきました…。)
余談ですが、この「あまりよくない環境で横になって寝る」というのは、登山の山小屋泊をしていて身に着けた技術です。最近は山小屋もとても綺麗だということですが…。そういう意味で、腐れ縁の登山に助けられた一面でした。)
兄弟との比較
子どもの頃から絵を描くのが大好きでした。
でも中学、高校と成長するうちに、勉強から逃避したいから絵を描きながら妄想にふけっているのだろうな、と考えるようになってしまいました。
続きます。
 
  
  
  
  
