姉の夫(義理の兄)のお母さまが亡くなりました。
義兄は私の父親が亡くなった時に、お通夜もお葬式も来てくれたので、今回は私もお通夜とお葬式に参加しようと思いました。
母は、私が義兄の母に会ったことがないので、お葬式だけ参加すれば良いと言っていました。
ただ、私の父の時に家族葬で行ったので、棺を運ぶ男手がなかった時に、義兄が来てくれてとても助かったので、今回は私が何か手伝えることはないかと思ったのでした。
(お葬式を主催するのは何かと大変です。)
お通夜とお葬式は大阪の田舎の方の家族葬のホールで行う、と連絡が来ました。
この連絡も姉から遅かったので、少し「?」と感じていました。
また葬儀場は駅から歩いて19分とグーグルに出ていたので、姉が車で迎えに来る、とラインが来ていましてが、主催者の嫁が抜けたらあかんやろ、と思って遠慮しておきました。
それなのに何回も迎えに来るとラインが来て少しイライラしました。
私の父親のお葬式のときもそうでしたが、母も親戚付き合いが苦手なので、ちょくちょく私が前に出なければならないことがありました。
前に出るのは全然いいのですが、その采配が全部母の手柄になっているのはちょっと納得がいかなかったのでした。
また、姉も自分の父親のお葬式なのに、参加者気分で口だけ出してきて、納骨の時は食事の店で不機嫌になって、親族の食事の席で携帯をいじり出すし、その態度に少し疲れを感じていたのでした。
今回も、お葬式の陣頭指揮を取っているのだろうか、と疑問に思っていたところ、座席に座れない人がいたことにたいして、「私に立つように言ってくれたらよかったのに。(お葬式が始まってから立ちの人が出たので、私は後ろの方に立ってるひとがいたのに気づかなかった。)」と言うと、義兄の方を指して、「数のカウント間違えたらしいわ。」と他人事のように言っていました。
そんな姉の行動を見て、結婚したからといってしっかりする訳ではないのだな、と感じたのでしてた。
母親は母親で、「花がしょぼい。うちの父親の葬式の時のほうが豪華やった。」「(義兄の母のお顔について)自分の母親の顔はもっとふっくらしていた。」とか人の大切なお葬式に対して、くだらない感想ばかり聞かされてうんざりしました。
別件①です。
義兄の父親の体調がすぐれないことは前々から姉から聞いていました。
車椅子で最前列に座られていて、お焼香の時に横に座っていた義兄が立たせようとしたけれど、人一人(特に男性)を抱えるのは無理があって、よろけていました。同じく最前列の反対側に義兄の子供たち3人が座っていたのですが、義兄が目で手伝えと合図している事気づかずに座っていました。
私は手を貸しに立ち上がりたかったのですが、血族を押しのけて、出ていくことも立場的に出来ずにハラハラして見ていました。
義兄の姉も参列していましたが、義兄の姉は遠くに嫁いでいて、父親の面倒を普段見ていないため、手を貸すという考えに至っていないようでした。(体調を把握出来ていない?)
やはりここでも一番近くにいる兄弟(義兄)に介護の負担がかかっているのだなあ、と感じます。
(兄は何も言わないですが、ストレスで円形脱毛症になってしまいました⋯)
別件②
義兄と姉は、結婚していた時に義兄が不倫をしてからの、離婚→結婚、でした。
ので、お通夜に行った時に、義兄が息子達に私を紹介してくれたのですが、挨拶もされず頭をペコリと下げられただけでした。
姉から、子供たちとは会っていない、と聞いていました。
子供たちのうちの一人とはお通夜で初めて会ったらしいです。
ただお通夜では子供たちは義兄とは仲良く話していました。
感情的なものはあるでしょうが、不倫したのは義兄も姉も一緒なのに、姉だけを悪者にするのは違う、と感じました。
また、私は義兄と一緒にアウトドアに出かけたり、私の父親のお葬式でお世話になったので、今回お通夜に行かせていただいたのですが、普通は義兄の嫁の妹がお通夜に参加することは少ないと思うので、関係の遠い私が自分たちの祖母のお通夜に参加してくれて感謝の気持ちを持つものなのでは、と思い、まだまだお子様なんだな、と感じました。
もう結婚ししてるしいい歳なのだから、表面上でも愛想よくして、父親(義兄)の顔を立てたらいいのにと思いました。
別件記述(愚痴)終わり。
棺の蓋を閉める時に、「棺の蓋を閉めるとお顔が見れなくなるので、最後にお顔をもう一度〜。」のアナウンスが流れたら、自分の父親の時のことを思い出したのと、残された義兄や義兄の姉の悲しさを思うと自然と涙が止まりませんでした。
私と母親は焼き場には行かなかったのですが、翌日兄から無事にお母さまを送られたことと、お礼のメールが来ました。
私も最初は不倫事件などもあり、義兄とは距離を取っていたのですが、自分の父親のお葬式の時も、今回の義兄のお葬式に参加させていただいた時も、参加している方とお話させて頂いて、父親や義兄のお母さまが繋いでくださったご縁を感じました。
また、人の死に接するに当たって、今まで宗教というものに全く関心がなかったのですが、精神的にどうにも耐えられないときはとても救いになることが分かりました。(特に自身の父親のとき。)
仏教に全く詳しい訳ではないですが、「ただ祈る」、という行為がとても救いになったのでした。
自分にも残された時間が短いことを感じ、日々大切に過ごそうと思ったのでした。